[章 親は何をすべきか (前)


頭が悪いのではない。頭を働かせるコツを知らないだけだ


 「クマ」が、そもそもなぜ「クマ」と呼ばれるようになったのか、多分、そのもっそりとした体つきや動き方が熊を思わせたからだと思うのですが、「クマ」は中学2年生の時に登校拒否症状を表し、以後悩み続けて戸塚ヨットスクールにやって来た時は20歳を過ぎていました。
 「クマ」が初めて私の前に立った時、既にすっかり気力を失ってしまったような顔に生気はなく、疲れ果てた体を重たそうに引きずっていたのです。
 彼は自分のことをあまり語らない方でしたが、断片的な話を総合していくと、最初は何となく学校へ行くのが嫌になり、休みがちになった。どこか生真面目なところがあり、ずるずると学校を休んでしまう自分を責めるような面もあったらしい。高校に進学することはしたのだが、やはり休みがちになり、同時にクマはそういう自分の心を立て直そうと少なからず努力してきたと言うのです。
 カウンセラーの所へ行き、回復のきっかけをつかもうともしたし、精神科医の所へも通った。催眠療法を受け、それでも効果がないと知るとヨガ道場へ。そういう消極的な方法ではダメなのではないか、厳しく激しいスポーツをやってみようと空手を習い始めた。それも長続きせず、しかし、家に閉じこもりがちであってはいけないと自らをせきたて、一時期、旅行ばかりしていたとも言うのです。
 それでも思わしくなく、もう他に方法はないと思ったところから、完全に家に閉じこもってしまった。こじれにこじらせて、母親がヨットスクールへ連れて来たわけです。
 クマは、すさまじい泣き声を上げる男でした。
 ヨットスクールまで一緒について来た母親が「じゃあ、帰るよ」と席を立ち上がった時が、クマの泣き声を聞いた最初です。
「ウワーッ」
 と叫んだかと思うと母親にすがりつき、腕をつかんで離さない。そしてウワーン、ウワーンと泣くのです。
 指を1本1本こじあけるようにして母親から引き離し、何はともあれ帰ってくれと言って母親を引き取らせ、まだ泣いているクマを見ました。1人にされてしまったクマは相変わらず泣き続け、その内、その泣き声が少しずつ変わってくるのに気がついたのです。
 お母さんがどうしたこうしたと言いながらしゃくりあげ、それが終わると床に仰向けになって手足を縮め、泣き声は小さくなったのですがその泣き方は丁度赤ん坊が泣いているようでした。
 そのままの状態で受け入れてはいかんと思い、ここは今まで住んでいた世界とは違うんだということをわからせておこうと、何も言わずに殴りつけた。普通、そのショックで一瞬、元の状態になるんです。興奮が醒めるわけです。ところが、クマは完璧に赤ん坊の状態になってしまっているようで、赤ん坊を叩いてもしょうがないのと同様、何の効き目もない。
 さて困ったと思っていると、しゃくりあげながらこう言うんです。
「水、お水……お水ちょうだい」
 それが3歳児のような言い方なのです。後から気づいたのですが、それは赤ん坊の状態から少しだけ成長した姿というわけで、水を飲むと顔つきがしっかりしてきて、しばらくすると一応20代の男の顔になってくる。
 クマはヨットに乗せるまでが大変でした。
 合宿を何度も逃げようとするわけです。最初は2階の窓から飛び降りた。正確に言うと飛び降りたという感じではないのです。あらかじめそうしようと考えていた風ではなく、ごく普通に窓に歩いて行き、うっかり足を踏み外したという感じでひょいと飛び降りた。むしろ落ちたというようだったと、それを見ていたコーチは言っていました。
 当然、足をケガした。しかしクマは、そのまま警察へ駆け込んだのです。
「保護を求める!保護を求める!」
 そう言ったと言う。そう言う時は、しっかり20代の男になるわけです。
 警察はクマを相手にしなかった。するとクマは「おれは成人だ。成人が保護を求めてるのに警察がそんなことをしていいのか!」しょうがなくなって、そこに座らせ調書をとった。母親に連絡してメシも食わせ、さあこれでいいだろうと、調書をとった係官がポンとクマの肩を叩き、お前も頑張れよとか何とか言ったらしい。そのとたん、クマが例によって大声で泣き始めたのです。
 私達は慣れてますから、部屋の外でその泣き声を聞いても驚かない。しかし、係官はびっくりして、これはたまらん、とにかく早くヨットスクールへ連れ帰ってくれということになった。
 クルマに乗せると、泣きながらクマは言うわけです。「ぼくが悪かったよぉ、お父さん、お母さん、助けてよぉ、ぼくが悪かったよぉ……」
 足にケガをしていましたから病院へ入れた。
 その病院でもクマは困り者でした。暴れるわけです。暴力をふるうわけじゃありません。廊下に出て、着ている物を皆脱いてしまう。素っ裸であっちウロウロ、こっちウロウロするわけです。そして、パンツを持って洗い場に行き、洗濯している。それを私達が行って、病室に引っ張ってくる。ベッドに腰かけさせると、今度は壁に向かって頭をぶつける。ゴツン、ゴツンと絶え間なく、壁に頭をぶつけている。本人は平気らしいんですが、隣の部屋の患者さんがその昔を聞いてたまらなくなってしまったらしい。何とかしてくれと。しょうがないので頭をぶつける壁の辺りにふとんを当て、そこでやるようにと言うと、クマは素直に言うことを聞く。音の問題は一応解決したと思ったら、それでは面白くないのか、クマは立ち上がってトイレに行くと言う。ここでまた逃げられたらコトだと思い、トイレにまでついて行くと、クマはしゃがみこんで便器の水で顔を洗い始めた。
 そんな状態なんです。医者もさすがに困ったようで、足の手当てはしたからもう連れ帰ってくれと言う。
 合宿所へ戻っても、とにかく逃げようとする。縛ると、なぜかほどくのが上手で、いつの間にか自由に歩き回っている。あるコーチがクマを風呂に連れて行った。ヨットスクールがよく世話になっている角屋旅館の風呂です。素っ裸で風呂に入っているわけだからよもや逃げまいと思っていたら、そのスキをついて何も着ずに裸のままで逃げ出した。追っかける方も裸です。外へ出れば皆騒ぎます。その騒ぎの中でどこかへ逃げ込んだらしい。コーチは1度服を着て、姿が見えなくなった辺りで、どうせその内に顔を出すさと待っていると、目の前に飛び降りてきた。どうやら崖の上が何かに隠れていたようなのです。
 最後の手段として、海に船を浮かべて、その中に閉じこめておいた。そこからなら逃げ出すことはないだろうと考えたわけです。クマは満足に泳げませんでした。
 足のケガはちゃんと治っていませんからコーチはそこへ食事を運び、治療し、風呂にも連れて行くと逃げるので、船の上で体を洗ってやる。本人は自分では何もしないのです。実に手間がかかるのです。
 これほど世話を焼かせる男もいないでしょう。こんな奴はもうダメだ、家へ送り帰してしまおうと、親を呼ぶのは簡単です。しかし、それでは何ら解決にはならない。引き受けた以上、何とかしてやりたいわけです。複雑にいりくんでしまった心の中の配線の、ここだというポイントをつかみ出し、そこに息吹を送り込みたい。

 コーチ達は皆、ヨットマンです。それぞれ、様々な形で海の体験を持っています。荒れる海に小さな木の葉のようなヨットで乗り出し、そこで色々なことを学んできた男達です。その上で、私のヨットスクールに駆けつけてくれた。十分な給料を払えるところまでまだいっていません。その余裕があるならむしろ訓練用のヨットを1台増やすことを先にしようと考える男達です。故障したヨットの修理代にまわそうとする男達です。
 何が、彼らをそこまでかりたてるのか。
 自分の生活を犠牲にして、ヨットスクールに泊り込んでいます。
 しかも、コーチ達は中途半端に子供達と付き合っているわけではない。彼らは冗談で子供達を殴っているのではありません。本気です。本気になって、こいつらを何とかしてやらんと……と考えている。
 コーチのすることが殴ることばかりではないのは、当然です。
 クマは、コーチが運んで来てくれるメシを食べ、毎日包帯を替えてもらい、体まで洗ってもらって初めて逃げることをやめたのです。
 足のケガが回復すると、クマはヨット訓練を始めました。
 残念ながら、クマに関する詳細な"日誌"が残されているわけではありません。海に出てヨットに乗るようになったクマが、1日1日、どういう形で変わっていったのか、克明に書き記すことはできません。
 しかし、ヨットに乗るようになってからクマが赤ん坊のように泣くことはなくなりました。幼児化して自分の世界に逃げ込むことが、まず消えたわけです。クマは約半年間、ヨットスクールにいました。最初の1か月はほとんど変化を見せず、2か月たち3か月たつ頃には、すっかりと変わっていました。
 クマが最後に逃げ出そうとしたのは、クルーザーに乗って鳥羽の近くの島へ行き、キャンプを張った時のことです。かざぐるまの訓練を一通りマスターすると、次にクルーザーに乗り込むことになります。後で詳しく書きますが、クルーザーには通常3人が乗り込み、そこでチームワークをとりながらのヨット・トレーニングを積むわけです。クマはそのレベルにまでいったわけです。
 ところが、島に着いてキャンプをしようという時になってクマの姿が見えない。また逃げたのです。小さな島ですから島から外へ逃げようもない。そのうちハラを空かせて顔を出すだろうと、コーチは待ちました。1日たち2日たち、クマは出てこない。3日目になって、コーチは地元の消防団に依頼して本格的に探す手はずを整えました。
 そしたら、ひょっこり出て来たのです。
「ハラ減った」
 案の定、クマはそう言いました。
 島でのクマ失踪事件があって以来、私達は、その島をキャンプ地として利用することができなくなってしまいました。また同じようなことが起きたら困るというわけです。仕方ありません。1人のために、その周辺の何十人もの人間が迷惑する。しかし、その1人を立ち直らせないことには、根本の問題は解決しないのです。そのための努力を誰かが払わなければならない。私とヨットスクールのコーチ達が、それをやっています。人を作る=第零次産業として、やっているわけです。
 クマにとってはそれが最後の"事件"でした。入校してから半年後、クマは家に戻りました。今は家の仕事を手伝っています。
 無気力。クマの場合、そもそもの発端はそこにありました。それが登校拒否に至り、年と共に益々こじらせていったわけです。このタイプの子供は、決して頭は悪くない。クマにしても色々なことを考える能力は持っていました。自分で自分を救おうともしたわけです。それが失敗に終わる度に、ますます脱力感に陥り、ダメになっていく。頭を働かせようとはせず、逆に幼児化していく。
 無気力、登校拒否の子供達の場合、従って、考えたり、頭を働かせるきっかけを強制的に与えることが、元に戻す1つのポイントになります。
 かざぐるまに乗っている子供を、あえて海に落とす。ヨットを転倒させる。理由があるからです。子供にとってそれは恐いことです。最初はなぜかわからず、しかし何度も繰り返されるうちに子供はいやおうなく考え始めます。なぜなのか。ギリギリの状態で頭が回転し始めるわけです。
 ヨットスクールに来る前はクラスでも成績が1番悪かった子供がいました。スクールで2か月ほど訓練し学校に戻ると、授業に遅れていたことなどハンデにならず、みるみる成績が上がっていった例があります。
 私はそれを不思議だとは思いません。
 その子供は、ヨットスクールに来る前は頭が悪かったのではなく、頭を働かせ考えるコツを知らなかっただけなのです。海の上では体を使いながら同時に頭を使わなければいけない。考えなければ転覆が待っているだけです。やがて頭は回転し始め、1度動き出せばそれを使うことを覚え、そこまでいけば、後は頭は使えば使うほどよくなる道理です。



無気力タイプに見えた子供が、思わぬほどの芯の強さを見せる


 私の記憶に印象深く残っている子供達はまだたくさんいます。
 「アサシオ」も、「クマ」と同じように典型的な無気力少年の1人でした。
 体が人一倍大きく、性格は優しいというより気の弱いところがあるといった方が正確でしょう。アサシオは、中学時代、同級生の誰よりも体が大きかったはずです。そのまま相撲の世界に入っても通用するのではないかと思われるほどの立派な体を持っていたのです。
 そして彼は相撲部屋に入ったのです。しかし、それは彼にとっては逃避だったようです。学校生活がうまくいかず、かといって何をする気にもなれない。家に閉じこもってばかりいた。周りから、いい若いモンが何をしているのかと言われ、それならオレは相撲とりになってみせると虚勢を張って相撲部屋に入ったわけですが、ただ単に体が大きいだけで通用するはずもありません。2年ほど下積みをしたのですが、結局、芽も出ず気分はますます落ち込んでしまった。家に帰り、また閉じこもってしまう。
 そのあげく、ヨットスクールに来たわけです。体はどうにもならないくらい肥満していました。動作はのろく、それですぐに「アサシオ」と呼ばれるようになったわけです。
 心にぶ厚い雲が覆いかぷさっている。無気力少年達は、皆そうです。それを自分では取り払うことができず、焦れれば焦るほどそれが重くなっていきます。親は、その雲を取り除くことはできません。
 「アサシオ」にとっては、減量も1つのテーマでした。放っておくと、人の何倍もの飯を平気でたいらげてしまう。その上きちんと動けばまだしも、コーチ達にけしかけられても自分の体が思うように動かない。アサシオの食べる量は厳重にチェックしました。
 同時に激しいトレーニングを課していく。
 アサシオの場合、体つき、顔つきが変わっていくのにさほど時間はかかりませんでした。1か月経つ頃から腹の辺りに不気味なほど溜まっていた脂肪が落ち始め、そうなれば海に出てヨットに乗ることも楽になり、2か月経つ頃には精悍な1人の男として見えるようになったのです。
 運動能力の点で比べると、無気力、登校拒否タイプは、非行タイプに比べれば明らかに劣ります。
 窃盗、暴行、時には覚醒剤までに手を出し、高校生で街を風切って歩くタイプの子供はすばしっこさを持っています。コーチの目を盗むのもこのタイプで、要領のよさでははるかに登校拒否タイプをしのぎます。子供達だけの生活の中でうまいこと立ち回り、どこでどうやって手に入れたのか、菓子などを持っていたりするのも、どちらかといえば非行タイプの方です。食事の時も、彼らは真っ先に食べたいおかずを自分の周囲にかき集めてきます。
 ところが、クルーザーによるトレーニングに入ると、私達は意外な発見をすることになるのです。

 ヨットスクールで使っているクルーザーは5人乗り、長さ約6m、エルブ20と呼ばれているヨットです。同じクラスの中でも、操船が1番難しいタイプのクルーザーです。かざぐるまもそうですが、わざわざ難しいヨットを選んでいます。理由はかざぐるまの場合と同じ、改めて説明するまでもないでしょう。
 かざぐるまを一応乗りこなすようになり、ヨットと海、風の関係などを体で覚えた子供達は、その次のステップとしてクルーザーに乗り込み、沖合に出て行きます。うねりのほとんどない湾ではなく、風も強く潮の流れも速い海で、生きていくためのノウハウを身につけるわけです。かざぐるまに乗り始めて、早い子供で2〜3週間、遅い子供でも3〜4か月でクルーザーに乗れるようになります。子供達が情緒障害児であることを考えあわせると、これはかなり早いぺースと言えます。普通のヨットスクールであれば、その何倍かの時間がかかるでしょう。
 クルーザーの場合、乗り込む子供達にはそれぞれ役割があります。キャプテンを1人決め、他はクルーになります。沖合に出た場合、クルーが力を合わせないと波を乗り切ることができません。また、キャプテンがよほどしっかりしていないと、すぐ危険に直面します。帆をどうするのか、舵をどうするのか……海の上の気象条件に合わせて次々に決断し操作していきます。
 かざぐるまに乗るのには"独身者"の気やすさがありますが、クルーザーの場合は"家族"を抱えたしんどさがあります。チームワークをとらなければいけない、各自の責任を全うしなければいけない。キャプテンはリーダーシップを発揮しなければならない。そこに社会性が出てくるわけです。
 クルーを組む時、キャプテンを誰にするか私達は考えます。クルーを統率できる人間でなければならない。きちっとヨットを動かせなければならない。その上、責任感が強くなくては困る。陸の上でトレーニングをしているわけではありません。ちょっと間違って海に転落すれば命にかかわります。天候の急変もありえます。
 こいつは頼りになりそうだという子供がいました。ヨットを操るテクニックを覚えるのも早いし、自分の手がすくと、まだわかっていない子供に教えたりもする。ここに来る前はだいぶ暴れていた子供ですが、ヨットには夢中になってくれた。この子だったらキャプテンをやらせても大丈夫だろうと、私達は考えたわけです。
 昨年、4隻のクルーザーで外洋に出たことがありました。コースは知多湾を抜けて外洋に出ると一路南下する。潮岬の沖を通って奄美まで行き、夏季合宿をやろうというわけです。
 コーチが乗ったヨットを中心に無線で交信しながら進むわけです。その時に、低気圧に巻き込まれました。
 風雨が徐々に強まってきます。そういう場合どうすればいいか、必要なことは全て覚え込ませてあります。お互いに連絡を取り合いながら位置を確認していく。
 そういう時、キャプテンの"力量"が問われてきます。機敏に状況を判断し、それに合わせてクルーを指揮し、ヨットを動かしていかなければならない。勇気を持って自然に対時しなければ負けてしまう。クルーの安全を第1に考えながら海をどう乗り切るか、キャプテンの力量次第なのです。
 風雨がさらに強まってきました。風速が20mを越え、完全なシケになりました。私達のヨットから子供達のヨットに向けて指示を出しています。向こうからも刻々と状況を知らせてくる。
 私達のヨットの他に3台のヨットがいるわけです。どの組は何も言わんでも大丈夫だろう、あそこの組はちょっと心配だ……私達は今までのデータをもとに予測をたて、最も心配なヨットとの交信量を多くしようとしていました。
 ところが、意外なところから無線が入ってきたのです。
「救助願います!救助願います!」
 声はうわずってしまっていますが、それが誰であるかすぐにわかりました。1番頼りになるだろうと思われていた男です。
 事情を聞くと、マストが倒れそうだと言う。私達はすぐに指示を出しました。セールを降ろして小さいセールに張り替えろ、と。
「できません!」
 そういう声が返ってきました。
「バカヤロー、死にたくなかったら、セールを張り替えるんだ!」
「できません!」
「マストを倒したくなかったら、やれ!」
「不可能です!」
 そのヨットの他のクルーの顔を思い浮かべました。普段は目立たず、頼もしそうな子供ではない。しかし、迷っている時間はありません。キャプテンに向かって言いました。
「お前はもうキャビンに引っ込んどれ!」
 そして無線でクルーを呼び出したのです。この少年は、マストが折れたと言う。
「倒れたマストで船体に穴が開いてないかどうか、確かめろ!」
 そう指示しました。間もなく返事がきました。
「大丈夫です!」
「それならOK。ヨットは沈まない。体をロープでしっかり結びもちこたえろ!」
 この少年の方が、修羅場で思わぬ落ち着きを見せ、機敏に動いてくれたのです。
 自分が生きるか、死ぬかという瀬戸際に立たされたのです。できうる限りのことをしなければならない。死にたくなければ、最後の力を出すほかない。そこで「不可能です」と言ってしまえば負けです。確かに恐ろしいと思う。風に揺れる中、這って行ってセールを降ろなければならない。危険です。しかし、それをしなけれぱもっと危険なのです。
 そこで、全てが問われます。判断力、決断力、実行力。逃げ場のない状況に追い込まれた時、飾りを排した、人間の本当の姿が見えてしまいます。つまり、その人間の精神力がさらけ出されるのです。
 その航海では、もう1人のキャプテンが、途中恐くなって舵を手離してしまった。そしてデッキにうずくまってしまった。これもまた意外でした。他の3人のクルーに舵を持たせた。
 それまで、どちらかといえば無気力タイプに見えた子供が、思わぬほどの芯の強さを見せてくれるわけです。



カチン、カチンになった心は、ぬくもりだけでは元に戻らない


 クルージングで暴風雨に巻き込まれることは、滅多にありません。
 しかし、だからといって常に海が安全ではないのです。波も見えない、一見、静かな海であっても、やはり海には海独特の試練が待ち構えています。ロープの扱い方、舵のとり方、帆の状態……細心の注意を払い常に理性と勇気を持っていないと、海は突然、恐るべき自然に変わるわけです。誤って海に転落する。ヨットはすぐにその地点に戻ることはできません。潮の流れは速く、風もまた吹いているのです。
 クルーザーによる航海までできるようになると、子供達はもうすっかり、ヨットスクールに入ってきた頃とは変わっています。
 真剣に力を出さなければ生き抜けないこともあることを体で知るからです。誰も助けてはくれない。甘えられない。自分の力で乗り切っていかなければならないことに気づくわけです。閉じていた心は、いやおうなく開き、そこに海の風が吹き込みます。世の中の半分しか見ていなかった瞳は大きく見開かれ、あらゆるものを正面から見つめられるようになる。
 子供達の顔が変わってくるのは、当然のことです。
 1つ、2つ、手紙を紹介させて下さい。
■手紙K――卒業生の父親からの報告
 「粛啓 涼秋の候、朝夕はめっきりと過ごしやすくなって参りました。早速お手紙を差し上げるべきものを雑事に追われ、心ならずも延び延びとなり、申し訳ございません。
 本当にありがとうございました。
 洋一(注・仮名)が元気いっぱい、1人で飛び起き、さっと制服に着替えて食卓にやって来ます。一家5人、早朝の食卓を朗らかに囲めるようになりました。
 今日は私の休みの土曜日です。中学生らしい生き生きとした表情で"はあい、行ってきまーす"などとおどけながら玄関を出て行く洋一の姿を目の前にして、感謝の気持ちで一杯です。
 仕事柄、相変わらず夜遅くの帰宅が続いておりますが、洋一は就寝時間ぎりぎりまで私を待っていては学校のことを話してくれたり、宿題のわからぬところを聞いたりして、安心したようにすっと寝入ります。ヨットスクールにお世話になる前は私を避け、おどおどしていた姿がうそのようです。(この様な親子関係につきましては、その責任は私の側にあったのですが……)
 最近の洋一の様子をお伝えするのに、洋一の話してくれた出来事を書き添えます。
 "ぼく腕相撲、クラスで1番強かったよ!"ヨットスクールにお世話になる前は、2、3回の腕立てがようやくだった子が……。夏に面会に参りました時には、女房にもかなわなかった子が……。(今では、女房は勝てなくなってしまいました)
 "学校って、すごく楽しいんだ。ぼくのクラスは1番いいクラスだよ。先生のあだ名は火星ちゃんって言うんだ"とか"先生は優し過ぎるよ。今日ね、掃除の時クラスの子が、どうしてぽくらだけ掃除するんだよってなまけようとしたら、先生が、おい洋一クン、頼むよだって。ぽくはやったけど、先生もっと厳しくなくっちゃ"
 などと話してくれます。
 洋一が寝た後、夫婦で話をしながら、あの洋一が変われば変わるものだと思わず笑いが込み上げてきます。洋一の登校拒否の原因は、私達夫婦、特に私の生活の乱れ、自己を厳しく律していくことが十分でなかったと反省し、家庭生活の再建に取り組んでおります。
 洋一の元気になった姿を見るにつけ、コーチの皆様の昼夜をわかたぬ御努力にはただただ頭の下がる思いです……」
 こういう手紙を、何十通、何百通ともらいました。
 ここに書かれている洋一君は、ヨットスクールでは「バンビ」と呼ばれていました。目がバンビのような男の子でした。気が弱く、マザコン。学校へ行けなくなりヨットスクールに来た当初は、ことあるごとに「首を吊るぞ」と言っていました。1度、本気で首を吊りかけたこともあったのです。
 もう1つだけ、本人から来た手紙を紹介させて下さい。高校時代にヨットスクールにやって来た女の子がここを卒業して仕事をし始め、書いてきたものです。
■手紙L――ヨットスクール卒業生からの報告
 「お元気ですか?私は元気で働いています。仕事にはだいぷ慣れましたが、慣れた分だけどんどん嫌な事が増えていくみたいです。従業員の間の問題とか……。
 でも仕方ないんですヨネ。どこでも同じだもの……。○○、△△、××(いずれもヨットスクールにいる女の子の名前)、皆元気ですか?よくヨットスクールに居た時の事を思い出します。ヨットスクールに居た時の方が楽しかったなぁーなんて勝手な事を思う時もあります。甘えてるんでしょうけれど、寂しくて、寂しくて仕方ありません。
 それでも甘えてなんていられませんよネ!ヨットスクール根性で頑張らねば!!
 事務所にもなかなか行けなくてごめんなさい。奥様はじめ皆さんに会いたいんだけど、ヨロシク言っておいて下さい。近いうちに必ず伺いますので。
 また生徒増えたんでしょうネ。台所の方はてんてこまいじゃないですか?合宿所に全員寝られてます?キューキュー詰めなんでしょう、きっと。もうそろそろ海も冷たくなってきたんじゃないですか?体に気をつけて下さいネ。もう今年も2か月足らずで終わりです。1年なんて、本当にあっという間ですね。ヨットスクールも今年は、本当に色んなことがありましたね。これからは無事に過ごせる様、祈ってます……」
 もちろん、私の元に届くのは、こういう手紙だけではありません。
 途中でヨットスクールを逃げ出し、そのまま家に閉じこもり、あるいはまた元の非行グループと付き合い始め、以前と何ら変わりはないではないかという不満の手紙もあることは、既に書いた通りです。私としては、もう1度ヨットスクールに送り出してくれれば、最後までこちらに任せてくれればと思わずにはいられません。
 もとより、戸塚ヨットスクールがあらゆる面で完璧だとは考えていません。あらかじめ理想に近い形でヨットスクールがあったわけではなく、1つ1つ試行錯誤を積み重ね、その経験を糧としながらよりよい方向を模索してきたわけです。
 例えば、非行タイプの子供には1つだけ特有の難しさがあります。
 ヨットスクールに入って来て3か月ほど合宿生活に入ります。それなりに効果を上げ、卒業します。ところが、彼が帰っていくところには以前と同じような仲間達がいるわけです。顔を合わさないわけにはいきません。子供には子供の付き合いがあり、そのことを無視するわけにはいかないでしょう。
 どうしたらいいか。色々な方法を考えました。その1つとして、2度に渡ってヨットスクールに入れるという方法があります。
 1度入り、適当な時期に帰します。子供は仲間達と会い、色んな話をするでしょう。自分がどういう体験をしてきたのか。その上で自分なりの生き方ができれば問題ありません。しかし、恐らく元の仲間に引きずられてしまうでしょう。子供なりのメンツもあります。その段階でまた、ヨットスクールに入れるのです。
 それを見て仲間達がどう考えるかはどうでもいいことです。再度入校して、2度目に帰す。そこで仲間と付き合いたくない理由ができます。こんなことしてたら、またヨットスクールに入れられてしまうから――。
 そういうやり方をとらせたケースもありました。しかし、この方法がベストであるとも考えてはいません。子供達は1人1人、個別的な事情があります。まだまだ試行錯誤を繰り返していかなければならないだろうと思います。
 こういうケースもあります。
 子供は医者からガンであると宣告された。しかし絶対そんなはずはない、ヨットスクールで鍛えてくれと言うのです。私はとっさにその親の言うことよりも、医師の判断を信じました。そういう子供は預かれないとお断りしたのです。しかし、再三の要望がありました。今にも死にそうな子供をヨットスクールに預け、親はその子供に生命保険をかけておく、などというケースもあるのです。私は拒絶しました。
 しかし、にもかかわらず、どうしてもと言うのです。それでは1度、ヨットスクールへ連れて来て下さいと言いました。こちらで医者に診てもらおうと思ったわけです。その子供を検査してもらったところ、親の言う通りガンでも何でもなかった。そういうこともありました。初めに診た医師の誤診だったわけです。と同時に、私達も間違っていたわけです。"医師の神話"を、はなっから信じていたという間違いです。
 事実を確認し、直視していくというところからスタートしなければいけない。子供達がどういう状況に置かれ、どういう状態にあるのか。それを見極めた上で、私達は子供達の心の世界に入っていきます。その入り方は厳しさを伴うものですが、それについては間違ってはいないと、信じています。
 冬の海。子供達はウェットスーツにライフ・ジャケットという姿で、ヨットに乗っていきます。手をカバーするものは一切ありません。素手のままロープを操作し、ヨットを風に乗せようとするわけです。冷たいのは当たり前です。1〜2時間の訓練をする間に何度も海に転落します。昼食時になると、子供達はカチン、カチンになって海から帰って来ます。
 私達はそれを全く心配していません。冷たさは火があればやがて解決します。お昼ごはんを食べ終わる頃には、皆元通りになっています。子供達の体とは、そういうものです。
 しかし、1度カチン、カチンになってしまった心は、温かいぬくもりだけでは元に戻らないのです。冷たい冬の海にも似た厳しさが必要です。そこで生き抜くことで、心の中に火がつくのです。
 人間の尊厳とは、作り上げていくものであって誰にでもあらかじめ備わっているものではありません。子供は、まだ大人(=人間)になる途中であり、人間の尊厳を身につけるプロセスにいます。いわば、未完成の状態です。その子供に、必要以上におもんぱかり、例えば"愛"というあいまいな感情をかぷせてことたれりとするのは間違いです。"愛"それ自体を否定して言っているのではなく、単にそれだけで子供をくるめば"尊厳"に値する人間ができあがるものではないと、言いたいのです。
 親が子供に対して与えることのできない厳しさを、私達は子供達に与えようとしています。
 1つ、告白しておきます。
 ヨットスクールの子供達をヨットに乗せ、知多湾へ初日の出を見に行ったことがあります。そのヨットには私自身の子供も乗っていました。いよいよ初日の出を拝む時になって、クルー全員が我勝ちにマストによじ登り、鈴なりになったのです。バランスの悪いヨットですからたまりません。たちまち転覆し、子供達が海に投げ出されました。私の眼中にはその時、自分の子供しかありませんでした。他人の子供より自分の子供――。
 そう行動してしまう自分の不完全さを思い、自分が当たり前の俗物であることを再認識し、同時に"父親"という立場の甘さを知りました。
 自分で自分の子供を本当に厳しく鍛えることはできない。他人だからこそ、できることがあるのです。子供達を当たり前の人間にするために、です。